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日志

 
 

【原】生食に見る日中食文化の異同  

2010-02-16 19:39:39|  分类: 论文 |  标签: |举报 |字号 订阅

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№ 0000000 / 0000 /  秋学期 / 修士論文テーマと概略

 

                                                            生食に見る日中食文化の異同

                                                ――日本と中国華南地方の魚料理を中心に

                     0 00

 

概略:

生物を食べる習慣、例えば、刺身などは、日本のものだと日本人は思っている。中国人も、日本人は生の魚や肉、野菜類を食べるので、生食をやはり日本独特のものだと思っている。

確かに日本人は、生物、或いは、ほぼ生に近い魚介類、家禽を珍重しており、どんなところでも、生物を食べるのが日常茶飯事である。

ところが、生物を食べる習慣は、必ずしも日本独特のものではないのである。

生食の習慣は、昔から中国にあって、現在でも残っており、朝鮮半島にもあることは、日本でもかなり知られている。

古代中国にはさまざまな「膾(kuai)」がある。約2千5百年前に孔子の?食不厭精、膾不厭細?は美食を極め追求しようとする名言であり、また「膾炙人口」の「膾」と「炙」も中国古来の調理法として、その当時使われた語であった。

日本では「膾」の字は「なます」と発音される。朝鮮半島では、その漢語を用いて「ユッケ」と称していた。後漢の許慎が記した『説文解字』では、「膾、細切肉也」と述べられている。また、『漢書?東方朔伝』では「生肉為膾」とある。

いずれにしても、中国における早期の「膾」は、生肉を「片(薄切り)」にしたもの、または「糸(細切り)」にしたものであった。「膾」には、「魚膾」、「牛膾」、「羊膾」、或いは「鹿膾」などがあった。時代によって「膾」を食べる習慣にも盛衰があった。

「生魚片」は、中国楊州の古代の名菜だった。古代においては、それは「魚膾」と称された。「膾」は、「鱠(kuai)」とも書き、略して「魚膾」。早くは、周代にそれがあった。漢代に至ると、それを食べるのが、非常に盛んになっていた。 隋代においては、蘇州一帯の「金斎玉膾」が著名なものとして、朝廷への貢物となっていた。隋の楊帝は、それを「東南佳味」と称賛したという。唐代でも、依然として「生魚片」があり、李白、杜甫、白居易も、それを賛美したとある。宋代では、市場で「生魚膾」が売られただけでなく、多くの著名な文人たちは、しばしば自宅で「鱠」を作って食べていた。明代に至っても、「生魚片」を食べる習慣は、依然として衰えてはいなかった。いくつかの「菜譜」には、「魚膾」の作り方が記されていた。劉伯温の『多能郡事』では、「魚不拘大小、以鮮活為上……細切如糸……」(魚はその大小に拘わらず、新鮮であるほど良く、糸のような細切り)と書いてあり、「魚膾」の作り方は、より精緻なものになっている。しかし、ここでは、「魚片」は「魚糸」になっており、食べ方にある種の変化発展があったと見なせよう。

しかし、明代においては、「魚膾」を食べるのに異議を唱えた人もいる。それは、著名な李時珍の『本草綱目』の説である。

李時珍は、「魚膾、肉生(生の薄切りにした肉)、損人尤甚、為症癖、為滴疾、為奇病、不可不知」(刺身、生肉は、人害あり、疾病、滴虫病、怪病の元で、知っていなくてはならない)と述べている。この李時珍のことばは、魚の刺身もしくは生肉を食べることによる病状を述べ、その害を知るべきであると述べているものであるが、寄生虫病による症状を述べたのであろう。

この李時珍の説の影響があったからか、清代に至ると、「膾」を食べる習慣は、徐々に衰えるようになった。但し、沿海の地域、特に広州一帯では、「生魚片」を好む人びとが、依然として多くいた。

中国の内陸部でかつて食べられていた淡水魚の「刺身」は、広州では「魚生」ユウサンと呼ばれている。こんにちでも、ハムのように薄く切ったものを、生姜や胡麻油などを少々たらし皿に入れ、混ぜて食べる「魚生」がある。

このような次第であるので、ごくー部の人を除き、中国人は沿海、または河に恵まれておらず、魚といえば、ほとんどが沿岸水域の淡水魚、それも特に養殖魚を利用することになっており、長い歴史から得た経験上の知識として、魚と家禽の肉は必ず熱を通して食べる方法に転換してきたのである。時代とともに、「膾」を食べる習慣が、ごくわずかの地域を除いて衰退していく主要な原因と考えられる。

中国の「膾」は、おそらく日本の膾より、歴史が古いかとうか、食文化に限って言え、歴史の資料や調査を探すと、これを研究の原点と思う。

一方、「刺身」は日本のものだとして、中国沿海地域や部分少数民族、また南中国の広東にも「魚膾」のうち?魚生?を食べる習慣現在もまた残っているので、その生食習慣に関する日中食文化の比較を加えておきたいのである。

 

研究と論じる課題として:

 

序論

第一章       日本と中国における生食文化の由来

第二章       中国「膾」と日本の生食との関連

第三章       「刺身」と「魚生」の食用法について

第四章       日中生食文化におけるの異同

結論

 

参考文献(略) 

 

 ( 要点:①食法様式 ②文化異同 ③両国思想までの追求と反映 / 由来→食用方法→文化上何の思想が現られた )

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